村松志保子助産師顕彰会とは

設立経緯

 村松志保子女史は、平成11年に東京都墨田区文化財調査員 原島早智子氏(「村松志保子」花と華研究)により日暮里にある谷中墓地の碑より発掘されました。志保子女史の精神を継承し、永く後世に移行を伝えるために、平成17年1月26日 村松志保子の命日に、岡本喜代子らが発起人となり「村松志保子助産師顕彰会」を設立しました。

目的

 助産師として博愛精神に基づいた福祉活動や女性の地位向上のために活躍した村松志保子の功績を顕彰し、その精神と志に根ざした活動をしている助産師、あるいは、していた助産師(産婆)を表彰します。

 また、会員相互の新陸奥を図るとともに、その精神と志を継承する自律した助産師の育成を支援することにより、広く地域社会の母子保健活動及びリプロダクティブヘルスライツに関する活動を活力あるものとすることを目的としています。

事業

 毎年、審査の上で、該当する助産師や団体を村松志保子助産師顕彰会式典にて表彰します。

 助産師を記念するイベント、村松志保子の精神や志を継承するための研修会や勉強会を行います。

 その他、本会の目的達成に必要な事業を行います。


ダウンロード
村松志保子助産師顕彰会 リーフレット 表.pdf
PDFファイル 249.2 KB
ダウンロード
村松志保子助産師顕彰会 リーフレット 中.pdf
PDFファイル 187.7 KB


歴代会長

初代会長廣瀬綾子

【初代会長】

廣瀬 綾子 

<2005年~2011年> 

【第二代会長】

南野 知惠子

 <2011年2017年>

 【第三代会長】

加藤 尚美

 <2018年~2023年>

 【現会長】

岡本 喜代子

 <2023年~      >


会長挨拶

 令和6年の年初めは、能登地震と日航と海上保安庁の飛行機事故という驚きの悲しい幕開けとなりました。お亡くなりになられた皆様への哀悼の祈りと、現在も被災中の皆様には、心からお見舞い申し上げます。

 松志保子助産師顕彰会は、平成17年1月に発足しました。助産師の顕彰事業を中心に、助産師の先輩の活動を尊重し、母子と助産師の日のイベントを通じて広く世界の母子の安寧と助産師の発展を願った活動を展開しています。

 初代会長広瀬綾子氏、2代目会長南野知恵子氏、3代目会長加藤尚美氏の後を継いで令和5年7月より会長に就任いたしました。

 遡ること十数年前に、当時墨田区文化財調査員の原島早智子氏により明治中期に、女性の健康を守り、まだ極端に低かった当時の女性の地位向上のために、一生を捧げた先駆的で自立した助産師(産婆)村松志保子の存在を明らかにしました。

 村松志保子氏は、当初女医として活動すべく、東洋医学を沼田藩医の父玄庵から学び、さらに女性が西洋医学を学ぶことが極めて困難な明治の初期に済生学舎で西洋医学を学んでおります。しかし、妹の産褥熱による死亡を契機に、女医ではなく、産婆として活動を開始しております。実践面では、貧富の差別なく母子への博愛的な保健・福祉活動を展開しました。

 村松志保子氏の存在は、助産師の本格的な職業化をもたらした明治時代のみならず、わが国の助産師の歴史を塗り替え、現在の助産師にとっても、リーダーとしてのその存在意義は大であります。

 もとより微力ではありますが、その志を継承し発展させていきたいと願っています。皆様、よろしくお願いいたします。

ダウンロード
村松志保子助産師顕彰会会則2023年改.pdf
PDFファイル 156.2 KB

村松志保子助産師顕彰会役員等

 役 職 氏 名 現 職 (元 職)
 会 長 岡本 喜代子 東京都助産師会館理事長
 副会長 黒田 優子 元日本助産師会理事
 副会長 峰岸 まや子 大学准教授
 理 事 原田 恵美 愛媛助産師会会長
 理 事 加藤 巴子 元日本助産師会理事
 理 事  白石 勝子 開業助産師
 理 事 長谷川 喜久美  開業助産師
 理 事 岡田 啓子  開業助産師
 理 事 嶋村 克子 助産師
 理 事 金  寿子 開業助産師
 理 事 小林 智子 開業助産師
 理 事 是永 奈央 大学講師
 監 事 原島 早智子  元墨田区文化財調査員
 監 事 長濱 博子 開業助産師

 顧 問

山本  亨 墨田区長
 相談役 桂  良太郎 元立命館大学教授
 名誉会長 南野 知恵子  元参議院議員・法務大臣
 名誉会長 加藤 尚美 大学教授

令和5年度~6年度